ピアノの想い出
Chopin-de MISORA
ピアノの想い出
ショパン ド 美空(Chopin-de MISORA)
筆者はピアノが弾けない。かつては少し弾けたが今はまったく弾けない。およそ45年以上前、筆者は盛んにピアノを弾いていた。無論初歩のレベルだ。苦心惨憺、約7年間の苦悩を経てある日少年はピアノを弾くのをやめた。それから長い年月を経た。ふとしたことからかつての少年はピアノを弾きたくなった。どうしても弾きたくなった。
幼少のころピアノを弾いていたが長らく中断をし、ふとしたことをきっかけにピアノが弾きたくなった方は、筆者以外にもいると思う。ピアノに対する複雑な心境を心の奥底に抱く方々も多いと思う。多くの人にとってピアノへの思いは濃淡様々だ。幸か不幸かピアノが幼少時、青春時代の心情を代表するある意味決定的、象徴的存在に達してしまった人たちがごく一部だが存在する。筆者もその一人だ。長い年月とともにピアノにまつわる悲喜こもごもの雑多な感情はようやく純化し、ほのかに透明だ。すでに少年ではない筆者はようやく音楽の帝王ピアノと向き合う気になった。この駄文を読み、諸賢が何かしら偉大なるピアノに対する新鮮な、良い意味でのインスピレーションを得る一助になればと思う。ついでに奇特にもピアノが弾ける方は筆者へいくばくかの憐憫の情を恵んでいただけるか、さわやかな冷笑を頂戴できるかもしれないがどうかご勘弁を。
木のレールとモーターのない機関車
個人的な話を少し。筆者の母親は強烈だった。筆者が4歳の時にすでにその黒い巨人は実家の居間で威張っていた。恐るおそるその前に座った筆者は強烈な母親からの質問に答えられず困り切っていた。「ドはどれ!」こわごわと筆者が指さしたのは後から考えるとファだった。菜箸を持った母親はすかさず「ドはここでしょ!!」と鍵盤をそれで強打した。
(菜箸で鍵盤強打!の再現写真。むろん実際には叩いていない。)
半泣きになった筆者は、もうまともな練習ができなかった。筆者の正確でない記憶は断片的かつ鮮明だ。しかし、菜箸の打撃ですこし欠けた鍵盤はその後数十年たってもテントウムシくらいの切り欠きとして残っていた。おそらく処分されていなければ今でもくっきりと跡があるだろう。よく見ると実は欠けた鍵盤は隣の「レ」だった。よほどおふくろは腹が立ったのか、残念だが菜箸でピアノは弾けない。おまけにミスタッチ。繰り返すが硬い象牙を吹き飛ばすくらい、母は厳しかった。母はピアノが弾けない。むろん鍵盤を触ったこともない。ピアノを本当に菜箸で弾くと思っていたかもしれない。口癖は「あたしが子供のころは、ピアノなんて買ってもらえなかったんだから、」だ。むろん父もピアノは弾けない。その頃はやっていたステレオをガンガン聞いていた。しかし、子供心にもピアノ曲は一回も聞いたことがない。ピアノ曲に興味がなかったのだろう。
(amazon.co.jpより。石原慎太郎著。幼少時家にあった。)
まとめると両親ともども人一倍教育熱心で、子供にいわゆる英才教育を施そうとしたのだった。ピアノについては無知だったがそんなことは関係なくまさにスパルタ式だった。悔しいが、ありがちな話だ。親の熱意が実を結ばず、子供にはそのエネルギー放射が無残にも完全に逆効果だったことはもっとありがちだ。親は熱心に子供のために人生のレールを敷いた。惜しいことにレールは木製だった。それを受けた子供は能力が足りず、いわばモーターのない電気機関車だ。いきんでも無駄だ。
(かみ合わせの悪い例。これは機関車ではなく有人貨車。の鉄道模型。モーターはもともとない。筆者の10歳時よりのお気に入り。仲間だったのだ。人生のレールは木製。安定しない。ないよりましか。)
少し悲しい。この文章を書きながらだんだんと思い出してきた。筆者はこの菜箸と、布団はたきが苦手だ。菜箸は先の件、布団はたきはやはり幼少時、今ほど悪くない人間だったころに母親に頭を母の背中側に横抱きにされ、思い切り布団はたきでお尻をはたかれたためだ。何回もある。ぞっとする。そうだ、母はいつも怒っていた。叱られたり諭された記憶はない。成人したのち母親に聞いたことがある。なんで布団はたきでたたいたのかと。当然「だってあんたがすごく悪かったから。」と。今の家には布団はたきはない。妻は穏やかで、布団をいじめることすらない。よかった。
賽の河原とピアノのお稽古
近隣の団地に、そのピアノの先生のおうちはあった。週に一回の練習だ。
(近隣の団地にて)
小学校に入るまでは姉貴と一緒に通っていた。もちろん家での練習はしない。いつ後ろから菜箸が飛んでくるやもしれずと思うと、その悪魔の黒い帝王の前に進んで座ろうという気持ちになれなかった。子供心は正直で、切羽詰まった時以外そのピアノの前に近寄らない。ピアノの丸椅子はしつこくぐるぐる回して、ようやく高さが小さな自分にあってくるタイプだ。油が切れていて回すのがバカに重い。なので、高さは常に姉貴にあっていた。小学生になったころからはピアノの先生に教わった鮮明な記憶がある。正確に言えば、練習内容ではなく、限りなく重い空気として残る退屈な記憶だ。お稽古の日は土曜日の午後早くだ。不思議にいつも晴れていて、団地の中をとぼとぼ歩く少年の周りに同級生たちが遊んでいた。「一緒に遊ぼうぜ」「あとでね」答える少年にあとはなかった。次に家庭教師の時間がいつも迫っているからだ。声をかけてくれるのはまだましで、後日学校で「あいつピアノ習ってるんだぜ、女みたい」と指差されるのには閉口した。クラスでピアノが家にある子はかなり高学年まで自分一人だった。少年の筆者が過ごした昭和の時代、ピアノは間違いなく女性名詞だった。ピアノの先生は優しかった。最後まで自習しなかった少年に、あきらめずに根気よくピアノを教え続けた。全く練習しないものだから、ほとんど進歩しない。賽の河原の石積みだ。結果は約7年かけて「メトードローズ」という教科書の最後の方に行って、そこまでだった。よく続いた。前置きがくどすぎたのでここまでにしよう。過去を振り返っても先には進まない。
帝王たちの末裔
筆者が現在住む小さな家の、あまり使っていないその部屋に以前からそのピアノはあった。正確に言えば電子ピアノ、ヤマハクラビノーバだ。妻が持っていたもので、20年ほど前の製品だ。手入れは良く、スピーカーからは時々妻が奏でるぎこちないメロディーが、まだきれいに聞こえてくる。常にその宇宙人を筆者は横目で眺めつつ、無視を決め込んでいた。怖くはないがかつての帝王の末裔だ。祟りがあるかもしれない。壁際に、所在なく佇んでいる存在にすぎないが、用心に越したことはない。ここから先はその帝王の末裔達とのやり取りを徐々に書き記してゆく。なおその顛末は全く期待しないでとだけは言っておこう。Good luck!
平成某年6月9日 恩赦の日は来た
日曜日。妻と二人で秋葉原にお茶を飲みに来た。
巨大な売り場を持つヨドバシカメラで、さるPCの周辺機器を買い求めた。ついでにと思い別の件で6階に立ち寄ったところ、その売り場があった。音楽機器コーナーだ。所狭しと置かれたピアノが、いつもは無視するのにどうしても気になる。無関心を装いつつ妻に付き合うふりをして、ピアノ群を見て回る。基本的に電気屋なので、おいてあるピアノは皆電子ピアノだ。見下ろせる位置に佇むピアノたちは従順な猫のようだ。不思議と怖くない。艶が良く、おとなしい。筆者の脳裏に淡い恐怖と密かな興味がわきだした。これならいけそうだ。もういいんだよと。その日は奥の楽譜コーナーで一人で始める教習本を数冊買って帰った。妻も興味津々で無害なピアノを嬉しそうに眺めていた。購入した本は「大人のためのピアノ悠々塾」入門編、基礎編、初級編、計3冊だ。ページをめくると、とてもフレンドリーだ。もう弾けそうな気がしてきた。気分はすでにモーツアルトだ。
平成某年6月10日 ピアノ付き遊覧船にて
その日のうちにピアノの猛勉強を始めるといったまめさは筆者にない。しかし気になる。仕事から帰った後いそいそと例の小部屋に行く。小型クラビノーバにかけられたタオルケットを外し、いすに腰掛けた。自分から勉強机とピアノの前に座った記憶がなかった筆者がこうしてすんなりと座っているのは不思議だ。もう大丈夫だ、怖くない。誰もぶたない。叱られない。今日はここまでと思っていると、妻が来て代わりに座り、ぽろぽろと器用に弾きだした。楽譜を見ながら同時に両手で弾いている。つっかえつっかえだが間違ってはいない。基礎編の優しい曲だ。妻も幼少時から中学生までピアノをかじっていたらしい。やはり中断期間が長く、スムースな指の動きはなさそうだ。妻にはピアノのいやらしい思い出はない。結婚、出産等女性は忙しい。忙しさの洪水でピアノは流されていったのだろう。今度は逃さずピアノ付きの船に乗ろう。仲良く。
平成某年6月12日 赤い彗星
小さなクラビノーバには楽譜立てがない。長い年月の間、引越しその他で失われてしまった。近くの楽器屋さんに出かけた。前の日から二日間も空いてるぞ、それで練習はどうした?練習してませんでした。理屈はならべない。言い訳無用。なので、今日楽器屋さんに出向き、いい本を探そうという魂胆だ。たくさんのピアノやクラビノーバの奥に楽譜が所狭しと並んでいる。楽譜立ての注文は妻に任せ、やる気の出そうな楽譜はないかと探した。あった!ではなく、真逆のものを見つけてしまった。恐怖の帝王の側近。赤い彗星、ではなく赤いメトードローズ。うーん。
赤いメトドローズ。やるな。
あるとは思わなかったが、見つけてしまった。お互いにらみ合った後、心を決め手に取ってめくる。40数年前の毒気が全身に突き刺さる。が、たじろいだのはその一瞬で、すでに人体に影響のないレベルになっている。もう一冊、ビギナー本と一緒にレジで購入した。かつての側近は妻には初対面だ。夕食後さっそくビギナー本を取り出し、解説を見ながら一曲を選び、片手でこわごわ弾いてみる。「夕焼け小焼け」は誰でも知っているので、意外と簡単に片手ずつ弾けた。ものの10分くらいだ。指も意外と動く。ただし、細かい動き、早い動きは無理だ。昔の指の動きが生きていた、と考えるのはうれしいが、もともとこれは小学生レベルのピアノ曲で、筆者=落第生レベルのものだ。入門用の曲が片手で弾けることはおそらく誰でもできるだろう。この日は片手ずつの練習でおしまい。音大生ではないので無理しないと言い訳する。
平成某年6月13日 許されざる日々
昨日の続き。片手が簡単に弾けたと思っていたら、意外とつまずく。逆戻り、出戻ってもくじけず、少ししつこく練習する。ためしに両手で試みるも全く指動かず。20分ほどで嫌になってきたのでおしまいにする。夕焼け小焼けも日が暮れて、道なお遠しだ。ふと例のメトードローズが気になり、ピアノの奥から取り出す。白日の元へさらけ出す。相変わらずフレンドリーでない。威圧的、教訓的、敵対的ともいう。こんな言葉でも今なら言えるが幼少時の脳に浮かぶのはこわい、あきらめ、もーやだ、の三語だ。昔話は終わりにしないとまた亡霊が出る。目を細めてぺらぺらめくる。あった。蜂が飛ぶの曲だ。「飛べ!小さなミツバチよ!」4歳で初めて弾いた日も覚えている。タッチもやさしそうだ。君だけは友だ。まずは右手。意外とすぐに弾ける。次に左手。それも1~2回で弾けた。まさか両手では弾けないだろうと思いつつ、呼吸を整えチャレンジする。なんと左右の音があっている。もう一度、つっかえるができた。少しうれしい。嬉しがてらに脚注を見ると、まず、「曲は最後には、必ず暗譜して弾きなさい。少しでも間違ったり、つまずいたりしないように気をつけなさい」その他諸々。気分のいい蜂だと思ったが、君はハエだ。友人はやめで、せいぜい知人にしとこう。調子のいいうちに次の曲へ挑戦する。少し先に「月の光に」がある。何となく見覚え、いや、聞き覚えがありそうだ。同じく左右別々で少し練習する。ゆっくりなら、以外にも弾ける。つっかえつっかえだが。あるポイントで急に悪寒がしてきた。左手の、この部分だ。
ミ・ソ・ミ・ド・シ。40年以上前もここでさんざん苦労した。確かにここだ。「もうできない!」少年は涙を浮かべて大人たちに訴えた。そこだけ鮮明な記憶がある。許されざる日々。気を取り直し、ゆっくり、重ねて練習だ。大人の知恵だ。右手、左手交互に練習を重ねつつ、ピアノが毒気を吐く前に今日は引き上げだ。
平成某年6月15日 恩讐のかなたに
今日は土曜日。土曜の午後、は遠い昔のかつてのピアノ練習日だ。午後の日差しは優しく、小さなピアノの鍵盤が誘ってくる。まずは昨日の「月の光に」だ。よく見ると曲の初めに「ひじょうにすなおに」と書いてある。「怨念を込めて」ではいけない。静かに弾き始める。数回ずつ左右で練習したのち、両手で弾いてみる。弾ける!例の苦労ポイントも、徐々にだが、つかえながら弾けてきた。繰り返し、10回くらい弾いて、飽きてきた。練習に飽きるも何も言い訳無用なのだが、いったん終了。数日前に両手演奏をあきらめた「夕焼け小焼け」の楽譜に差し替える。1回、片手づつ弾く。ダメもとで両手弾きに臨むと、手がついてくる。つっかえながらだが、最後まで弾く。一部でも両手で弾けると、そこから弾ける部分が輪のように広がってゆく。左手でつかえる部分があるので再び集中特訓だ。左がなれたところでもう一度両手に。今度はもう少しうまくゆく。目をつぶっても弾ける。指が鍵盤を覚えている。目を開ける。午後の陽光を浴びた遠くのケヤキ群が、枝をゆすって喜んでいた。再び目を閉じ、夕焼け小焼けを呟きながら、弾く。いい気になってるとつかえるが。カラスがなく前に引き上げよう。この日はここまで。
平成某年6月22日 新世紀のピアノ
銀座に来た。先日遂にクラビノーバの新型を注文した。そのクラビノーバの実物が見たい。銀座7丁目にある洗練されたビルが「ヤマハ銀座ビル」だ。カーナビで「ヤマハ楽器」を銀座で見つけても見つからないので要注意だ。地下3階から12階まで全部ヤマハばかり。音楽ホールやスタジオまでそろった巨大な音楽芸術集中施設だ。
素晴らしい。入口を入った1階フロアがもうお目当ての電子ピアノ・エレクトロン売り場になる。探し物はすぐに分かった。中央の目立つ所にさりげなく置いてある。従来のピアノのような圧迫感、重圧感がなく、軽快なセンス、21世紀の標準型ピアノはこれだと思った。子供にも安心して見せられる。大きな満足とともに一抹の不安がよぎる。やはりピアノなのだ。
同月同日 ピアノの進化<<<PCの進化
美しい新型クラビノーバも所詮はピアノだ。20世紀型ピアノの重い影を多く引きずっている。
まず、名前が電子ピアノだ。○○ピアノと呼ばれるうちは大きな進化がない証拠だ。なぜか。鍵盤があることだ。少年に苦渋のレッスンを負わせ、限られた人間しか受け入れない最難関がまずは鍵盤だ。鍵盤をなくせ!機械の進歩は通常機械が物理的に動く部分、つまりハードの改良と機械を動かす仕組み、ソフトの改良の両方が必要だ。ヤマハクラビノーバの進歩はハード、ソフト両方ともまだ多くの余地がある。ハードの進化はそこそこだが、特にソフトの進化がいけない。どこがいけないのか。ほかのものはもっとさわやかに進化しているんだぞ。身近な工業製品の進化を例に見てみよう。パソコンと車の進化の過程は大変参考になり、分かりやすい。まずはPC。今入力しているPCはノートパソコンで、40年前は工事現場のプレハブ級の大きさを有するザ・コンピューターだった。「2001年宇宙の旅」に出てくるHALの世界だ。次第に小型化が進み、机サイズ、箱形のタワー型PC、ノートパソコン、タブレットPCだ。ついでに娘はスマホオンリーだね。ポケットに入る。使いやすい。威圧感ゼロ。ちなみにタブレットPCにキーボードはない。ソフト面を見てみよう。ワードプロセッサーは英文のものがオリジナルだが日本語入力環境の変化はもっとも劇的だ。古くは一銭銅貨の小説に登場する貧しい印刷工場、30年前から東芝ルポ、一式そろえて100万円+α。NECのPC+一太郎に至り、やっとウインドウズのワード搭載PCに変遷する。今や高校生の標準文字入力はスマホだ。ノートパソコンですらない。ユーザーフレンドリーともいう。当たり前だが文字入力にレッスンは不要。
同月同日 ピアノの進化<<<乗用車の進化
次に乗用車の進化も見てみよう。更に劇的だ。まずはハード=形。40年前の標準的乗用車は黒塗りのセダン、やがて白いクラウン、現在のそれは中型ワンボックスか、ハッチバックの赤いコンパクトカーだ。
(トヨタ自動車ホームページより。ちなみにセンチュリーの外観は40年前とほとんど同じ。エンジン等内部の仕組みは最先端。)
ピアノ→クラビノーバのハード的変化は結構著しいが乗用車の変化には負けている。赤くてかわいいコンパクトピアノはまだない。車とピアノの進化で最も違うのはその使用法、ソフトだ。私は上手にピアノが弾けない。しかし、上手にピアノが弾きたい。この命題は車の世界ではソフトが進化し、とっくに解決されている。マニュアル車のクラッチ操作は苦手で上手に車が運転できない。しかし上手に車を運転したい、という命題の解を見てみよう。ハード的には複雑だがソフト的には単純かつ明快だった。オートマチックトランスミッションの完全導入だ。乗用車におけるオートマチック率は筆者の知るところ98.5%だ。女性でもオートマチック車なら大丈夫。安全に、上手に運転できますよ、という優しさの考え=ソフトの進化が明白だ。もうすぐ自動運転も始まる。人に車を安全、かつ快適に運転させることでどれだけ世界が豊かになっただろう。今やF1カーもオートマチックだ。正確に言えばセミオートマチックで、その方がマニュアルシフトより早い。陸上自衛隊の戦車も74式戦車以来ずっとオートマチックだ。マニュアルシフトの運転複雑な戦車を翻弄できる。ひるがえって、ピアノは40年前と比べ、どれだけ弾きやすくなったのか。どれだけ多くの人を豊かにしたのか。音楽家の理屈、言い訳は専門家の論理があるだろう。しかし、ピアノの進化はここ100年以上前からないと思う。特にソフト面で。勘違いした親の教育的配慮とピアノの難解さのダブルパンチで多くの年少者がどれほど有形無形の苦しみを味わったことか。音楽の楽しみ、親しみを一生味わえず、なくなくPSP、PSVITAに貴重な人生の一部を費やすことになった青少年の悲しい心情には、立派なヤマハビルの音楽家たちは無関心だ。鼻歌をDS Lightの前で歌うとコンサートホールよりもっと素晴らしい音響で、フルコーラスの編成が返ってくる時代はもうすぐなのに。鍵盤のないピアノを作る国はどこが最初だろう。トヨタ、ソニー、ヤマハは皆三文字の会社なのにずいぶんと哲学が違うぞ。ちなみに昔からトヨタのエンジンはヤマハが作っていたそうな。今はますます緊密な連携があるらしい。トヨタ車の音色もいつかはピアノ風の音色に変わると思う。ヤマハのオートバイエンジンも当然ヤマハ製だ。きっとがりがりの永久マニュアルだろう。(補足。バイクのマニュアルは車のそれと全く感じが違う。自転車の変速機に近く、気持ちのいいものだ。筆者感)ソニーのハイレゾウオークマンが奏でる音色はついに本物のグランドピアノを超えたか。大脱線した。ピアノの怨念はまだ解けない。
同日 帝王の魔術
5階にも行ってみた。素晴らしい。本物のピアノたちが待ち受けている。
三百万近くするマホガニー仕上げのグランドピアノなど、これがピアノだ、とうならせる至高の逸品が所狭しと並べてある。豊かな気持ちになってきた。従来のピアノ(箱型のものでアップライトピアノという)も位の低い一兵卒よろしく片隅に置かれ、存在感はない。かつて筆者を苦しめた黒い悪魔の帝王もここでは息をひそめている。鍵盤がついたピアノもどき楽器=クラビノーバなど、歯牙にもくれない。一通り見渡して、係のお姉さんに断わってから禁断の鍵盤をいじる。やはりグランドピアノは格調が違う。鍵盤に触れるコンマ2秒前から緊張感が新皮質に伝わってくる。触れた音色は数百年前から響く人類の英知だ。あふれる愉悦は何物にも代えられない。これこそピアノだ。硬質感にくるまれた決定的品位は許された階級にのみ享受できる特権なのだ!
子弟の情操教育にもこの格調高い古典的ピアノの活用は第一に考慮される。ピアノは人類共通の守らねばならない文化遺産だ、という思いを後にして、俗世間の待つ一階へ下ってゆく。優越感に自然と顔が緩む。子供にはあれを弾かせよう!一階の出口から外へ出て、生暖かい午後の空気を吸ったとたん目が覚めた。日はまだ高い。21世紀に入りずいぶん経つのにこれではいけない。単純な脳の構造を恨みつつ家路に就いた。
Illustrated by Kaho ARIMA
スーパー中空構造を呈する筆者の脳モデル、のイラスト。
平成某年 初夏
初夏の日差しがまぶしいころ、少しずつ新しいピアノに親しみ始めている。オタマジャクシを眺めても曲のイメージがつかめない時には妻を呼んで弾いてもらっている。ゆっくりだが楽譜を読みつつ両手を使い即興で弾く。嫌な顔一つせず教えてくれる。ピアノは人の心を映し出す。喜怒哀楽を雄弁に語る生き物だ。穏やかに語りかければ穏やかな答えが返ってくる。静かな水面に小石を一つ落とし、生まれる波紋の広がりはよく見ると一様ではない。周りの風景を揺らしながら緩やかなリズムを刻む。上手ではないがこの季節になって波紋の隙間に少しづつメロディーを奏でる空間を見つけた。明日はもっと豊かな空間を広げてゆきたい。
ピアノを弾けない全世界の方々に捧ぐ
ショパン ド 美空 略歴
南仏シャンパーニュ地方出身
日系二世、母方の外戚にロマン派音楽の大家フレデリック・ショパンの家系を有する。ソルボンノ大学文学部卒
外資系企業勤務
家族とともに関東近郊に居を構える。比較文学研究をライフワークとする。
(上記内容は個人情報保護のため一部フィクションを含みます。)
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