医師国家試験をパスしたら

医師国家試験をパスしたら、成功者になれると思っていた愚か者

【学士入学で医学部入学まで】

中学高校大学と一貫校で過ごし、友達は皆一緒で、今も仲がいい。仲間の誰かが、海外赴任をする際には、必ず会合を開いている。不思議なことに、日本国内に異動する仲間はいない。サラリ-マンといえば、転勤があるはずなのに、大学卒後20数年経った今でも、誰一人異動がない。皆、名だたる有名企業に就職しているが、大学から入学した友人は地方勤務をしているか、長期間の地方勤務経験がある。なにか裏があるのか、それとも悪いことをしているに違いないと思っている。

大学を卒業して、傍大手石油会社に就職した。私の実家が燃料店を行っており、どうせサラリ-マンになっても2,3年程度の勤務を経て、実家を継がなくてはならないから、悲しいかな、商社ではなく石油会社にしたのだ。つまり腰掛のつもりであった。自分の人生のレ-ルが決まっていることこそ、つまらないことはない、中学受験の時から、運命は決まっていたのだ。私の学歴は、実家を継ぐためのものであり、あまり意味をもたなかった。

ただ、学生時代に友人が亡くなったことがきっかけで、命について考えること多くなった。

どうせ、実家の家業を継ぐのだから、救急救命士になって数年遅くなってから実家に帰ればいいと考えていたところ、中高大のサッカ-部の先輩に相談したところ、どうせ医療をやるなら絶対に医者になったほうがいいよと言われて、医学部受験をし、2年次に学士入学をしたのだ。ちょうどサラリーマンを2年間経験して、医学部の門をたたいたのだ。2度目の大学ということで、恥ずかしながらも学費は実家に出してもらったが、家賃・生活費・教科書代・飲み会代等は数個のアルバイトを掛け持ちして補った。家庭教師は週に4回、そこで夕食をご馳走になり、土日は建設作業員のアルバイトを行い、生活をなんとかたもった。医学部進学までは、一人暮らしもしたことなく、実家にずっといたので、ごはんを作るのも洗濯をするのも自分ひとりで行った。簡単といえば簡単だし、面倒といえば面倒であった。当たり前といえば当たり前だが、とにかくお金のかからない倹約生活につとめた。周りの友人はお金持ちだったので、住む世界が違うなあと感じながらも、家庭教師のアルバイトが終わり、23時位から飲み会に参加していた。二次会ならあまりお金がかからず、カラオケが多かったので、新しい歌も覚えた。必ず物事は表裏一体なんだと感じた瞬間である。

私は小学生からサッカ-をしていたが、医学部時代の部活動はさすがに、お金の面から参加できなかったのが、残念である。医学部時代に勉強で困ったことはなく、友人の輪を利用させてもらい、卒業も順調にいき、国家試験もなんなくclearした。医学部は大学ではなく、医師国家試験の予備校であるであると思うので、点数さえ取っていれば問題はなかった。

↑妄想中のポルシェ

試験勉強中は、医者になればポルシェ乗って、綺麗な女性と出会って、お金の使いどころに困るなあと勝手に想像・妄想していた。ところが、現実は大きく違ったのである。

【極貧の研修医時代】

 研修医1年目の給料は、労働基準法が医師には適応にならないと言われ、本当かどうか知らないが、毎日朝7時30分から、23時24時まで病院にいた。当直は月に10から15回、

休みは日曜日が月に1回程度、月収4万円、時給になおすと、100円~125円であった。ポルシェはどこに?綺麗な女性はどこに?お金もないひもじい思いをしていた。妻とは医学部6年生の卒業時に結婚していたので、新婚旅行中に、国家試験不合格の夢をみた。不安であったが、医者になりさえすればお金持ちになると思っていた。が、研修医4万円の給料では生活もままならず、保険にも入れないので、妻の扶養家族にしてもらった。今でも頭があがらない。ありがたい限りである。

↑最低賃金は決まっているはずなのに、時給100円って?

2年目の研修医の給料は月5万円であったが、アルバイトが可能となったので、扶養を外れた。コンビニで値段を気にせず、買い物ができるようになった。ひもの様な生活はしたくはなかったが、医学部5年間と研修医1年間のひも生活をささえてもらった。

【極貧の大学院生時代】

卒後3年目から、九州大学へ研究のため、留学させていただいた。九大というから、てっきり博多かと思いきや、大分県別府市の九大生体防御医学研究所というところに国内留学だったのだ。そこには2年半滞在したが、かけがえのないもの・長男を授かったのだ。実験・研究のために行ったのだが、毎日温泉三昧、どこの病院に当直に行っても温泉当たり前、借りていたマンションでも、部屋のお風呂に入ったことは皆無で、マンションの共同温泉に、長男と一緒に毎日入っていた。ただし、生活はアルバイトのみで生計をたてるので、楽ではなかったが、とにかく毎日が楽しかった。

↑高速からみえる別府市内、ありとあらゆるところが温泉。海沿いの写真。

【東京に帰ってから】

別府での家賃が、3LDK・全面海展望・駐車場2台込みで、7万円位だったのにも関わらず、東京で借りた家は家賃23万円、駐車場代45000円であった。とにかく東京の相場に驚いたが、稼がなくてはいけない。この頃になると、ポルシェなどの購入は毛頭考えず、生活に必死であった。東京に帰ってから、長女・次女に恵まれたため、さらに当直のアルバイトを増やさなくてはいけなかった。

【試験・資格の連発】

大学院卒業・英語論文発表で医学博士はとったが、名刺にMD(医師)、phD(博士)と記載されるだけで、何一ついいことはない。収入に結びつくこともない。大学院卒業したから、生活が一変してお金持ちになれると思っていたが、そんなことはなかった。

【博士取得後のバラ色の生活?】

大学院卒業・医学博士取得で、今後の医者人生は華やかになり、家族にも贅沢をさせてあげるものだと思ったのつかの間、学会入会・資格試験受験・専門医・指導医維持のため、年間数十万円を出費し、国内学会にいけば、後輩に奢るのは当たり前で、交通費・宿泊費も自腹である。自分で獲得した研究費(科研費)も使わせてもらえない状況である。

私の専門医等を羅列すると、産婦人科専門医・指導医(産婦人科学会)、がん治療認定医(がん治療学会)、婦人科腫瘍学会専門医・指導医、産婦人科内視鏡技術認定医・内視鏡外科学会技術認定医、日本体育協会スポ-ツドクタ-、JリーグNFrep(アンチ・ド-ピング)、母体保護法指定医、臨床研修指導医、日本女性医学会専門医などである。どれも年会費があり、資格更新の際には、審査料・更新料がかかる。こんなに維持費がかかるとは思わなかった。学会の年会費や、専門医・指導医の申請・更新でまさかこんなに、、、、。

【最後に】

一体、ポルシェはどうなったのだろうか?もう今では、街中でポルシェを見ても、小さい車で貧乏臭いと思いこむようにしている。あとは見ないようにしている。医者になる前にいだいていた、お金持ちへの憧れは、結局幻想だったのではないかと思っている。ただ、お金では買えないかけがいのない贈り物、私たち夫婦の3人の子供を授かり、今の生活に満足している。

結局、人生は決まっているのではなかろうか?今の生活に給料を増やしたとしても、自由時間がなくなり、また研修医時代の時給125円の二の舞にならないかと思っている。

医者の実態は、まじめで、勉強すればするほど、貧乏になるシステムである。世の中、うまくできているのだなあ、仕事ができるだけでも幸せ、生きているだけでも幸せなんだと原稿を書きながら、つくづく実感している今日この頃である。