妊婦健診予約

その4 – 若者よ、開業をしよう。

暑さと寒さが繰り返す日々は季節の移ろいを身近に教えてくれます。この千葉県船橋市、芝山の地でささやかな産婦人科を開業して、はや十余年が過ぎました。十年一昔、の言葉通りならそれはもう昔話にすぎないということになります。セピア色に包まれた昔話は美しい思い出となるものですが、まだ私にとって到底思い出話に昇華するほど熟成が進んでいません。それならばと開業10年を機にその出発点前後の混沌とした空気、いわば未成熟天然ガスを振り返り、あえて正面から眺めてみたくなりました。大、小爆発する前に少しでも有害物質を取り除きたい、もしかすると後々美しい思い出に仕上がるかもしれません。そんな思い付きに皆さんを寄り道へお誘いするのが今夜のお話です。

 

旧斉藤医院(斉藤先生ご提供)

いつかは小さくとも自分の病院を作りたい。そこで納得のいくように医療活動をしたい。そんな想いの導火線に小さな火が付くきっかけとなったのは、とある会合で同席した旧知のT青年でした。ミルク会社に所属するその人懐っこい顔が私の座る席に例のごとくささっと近づいてきて「蔵持先生!まだ開業されないんですか?」にやりと困る、その中間くらいの顔つきでつぶやいてきます。いつもなら適当に返事をしているところですが、その日の会合はことのほか退屈で、なぜだかこのT青年の小声のささやきにうっかり話を合わせてしまいました。なんでも船橋市の片隅に盛業中の産婦人科があり、引退しようにも跡を継ぐ者がいなくて困っていると。この時37歳、医師になり13年もドタバタ暮らしを送ってきた私がそろそろ一区切りつけたいと思う気持ちが顔に出ていたのかもしれません。またしてもあいまいに返事をしておしまいになりました。が、これを機に少しづつ新規開業を意識して具体的な活動を始めるようになりました。

どこで、どのような規模で、どんなイメージの病院になるのか。明日の天気もわからない私にとって皆目見当がつきません。休日に妻と二人で思いつくままに開業したいと思う駅の近くへ車を走らせました。しかし当然のごとく思った空地に「求む、産婦人科開業者」の立札はありません。光陰矢のごとし。数か月がむなしく過ぎてゆきます。ふと思い出しました。そういえば船橋のどこかに後継者のいない病院があったな。さっそく次の会合を待ち、近づいてきたT青年に「あの話、どうなりました?」と尋ねてみたところ、とんとん拍子で話が急展開しました。

さっそく次の週末、今度は一人でまずは偵察に。

(↑左、中央、右)歩道のある立派な片側1車線道路に面し、しかも角地に建つ、その「斉藤産婦人科」はそびえていました。写真左はその角地から見た正面の様子。写真中央は正面向かって右へ回り込み、見たところ。その建物奥から90度曲がり自宅が併設されていました。ささやかな駐車場と豪華な自宅中庭、裏の広大な畑が見て取れました。写真右はもう一度建物正面に戻り、さらに正面左の道を入り、振り返ってみた様子。立派なご自宅の玄関側です。

(↑左、中央、右)最寄駅「飯山満(はさま)駅」は数百メートルの距離にありました。昨日できたばかりの駅でもここまで静かな雰囲気のものはないという落ち着いた駅。青いシルビアは当時の愛車です。
駅の改札にある近隣地図にもその「斉藤医院」が出ています。春のうららかな土曜日の午後は満足した菜の花が見送ってくれました。

年内に長年お世話になった東大産婦人科医局と帝京大市原産婦人科医局の各教授へ離任のごあいさつを済ませ、いよいよ平成15年1月1日、晴れて「くらもちレディースクリニック」を開業しました。もと院長の斉藤先生はとても親切で、かつ割り切りの良い飛び切り人格者の方でした。「野武士」と「好々爺」を足して二で割る存在です。病院関係には一切口出ししないよ。その代り困ったことがあればいつでも呼んでね。会うたびごと、いつもにこにこしながら口癖のように語りかけてきます。穏やかな奥様とお二人で奥の自宅に住まわれており、我々家族には病院と自宅の中間にある、ざっと18畳はあるキッチン付の広間と数室の小部屋を提供してもらいました。本来は病院の集会場にするつもりのスペースでしたが今は物置となっており、急遽雑多なものを排除しリビング兼寝室兼ダイニングにした便利な部屋でした。

 (斉藤先生ご提供)

(↑)上の写真の赤い矢印部分がその大部屋。写真上部が大通りと病院、写真下部が自宅のみ現役「斉藤邸自宅」とすばらしい和風庭園。

賃貸料は月に200万円。プラス土地代30万円。土地は住宅公団「UR」の借地で、いわば又貸しの状況。病院の付帯施設、医療機器その他はすべてわたくしへ無償譲渡。固定資産税、その他雑費は斉藤先生が負担するという条件です。手元資金実質ゼロからスタートの身分でぜいたくは言えません。まずは試行錯誤、始めなければ始まらない、です。診療を開始する数日前、暮れも押し詰まった平成14年12月31日、妻と二人で午後から開業準備と引越しのため旧斉藤医院へやってきました。暮れのためかもう入院患者はいませんでした。院内をぐるりと回り、詳細に見て回りました。ボールペンの1本でも欠けると診療行為はできません。今更ながらに気が付きました。院内の雰囲気がどうしても「硬い」のです。鉄筋コンクリート造りなので硬いのは当たり前ですが、私の知る病院イメージと違い小さくても強烈な違和感を感じます。すぐに気が付きました。この病院にはカーテンとカーペットがない。病室にはかろうじてそれらしきカーテンが申し訳なさそうにゆれていましたがあとは一切無用。絶無。診察室ももちろん同様です。それならばと思い、幸いにして隣にあるホームセンター「ビバホーム」へカーペットとカーテンを買いにゆきました。とりあえずは診察室とその隣の内診室の分だけです。ロールカーペットという薄い敷物が巻いてある大砲の筒のようなものを妻と二人で診察室へかつぎ込み、部屋の隅から床へ両面テープで張り付けてゆきます。敷物ですから既存の家具類をどかしながらの設置です。いろいろ家具をどかすうちにあちこちから出るわ出るわ、ごみ、廃棄物の類。丁寧にふき取りながらの作業は思ったより重労働です。続いてカーテン。何度も隣のビバホームへ往復し、何とか一通りカーテンを設置し終えるころ、どこからともなく除夜の鐘が聞こえてきました。くたくたな手を休め、しばらく妻とぼーっと聞いていました。来年は良い年になるのかな。

(↑)開業してしばらくたって落ち着いた頃の診察室。レース、カーテン共に妻と二人で設置。隣の内診室も同様。以前あった古色蒼然とした机は小さすぎ、ガタつき、使用に耐えないので申し訳ないが広くて使い勝手の良いものに変更。大満足の院長。自分の目の前が片付いていると、すべてがそうだと納得するお得な性分かもしれません。

診療を始めてすぐに困ったことがさっそく2つ。意外や、小児の診療が時々あることです。来たものは仕方がないと、昔教わった教科書を思い出しながら、何とかしますがいかにも不安。前の院長は器用にもいろいろこなされていましたが私には不向き。申し訳ないが徐々に小児科診療は減らしてゆきました。専門科目の「産婦人科」と「麻酔科」で勝負です。最高の医療、言い過ぎであれば自分が提供できる最上級の医療を患者さんと共有する、それが新病院の目標です。それができない内容は申し訳ないけど他の病院で見てもらうことに徹します。虚構のブラックジャックは受けそうですが目標にしません。逆にドクターコトウ(なんでも屋さん)もしません。窓口にはなりますが、専門外の項目について自分より良い医療が提供できる、良い病院へ患者さんを誘導できるように努めることにします。

もう一つ、診療報酬の計算方法が分かりません。準備不足と言えばそれまでですが、計算方法の原理はとても複雑です。開業に合わせてレセプトコンピューターを導入したつもりでしたが、業者の都合で最初の一週間ほどは稼働せず、仕方なく手計算となってしまいました。頭の良い妻は、はたで見ながらさっと計算してくれますが、わたくしにはその能力も意志もありません。大雑把にはわかりますがそれでは会計になりません。ここは一時降伏し、妻と受付のお姉さんにお任せしてしまいました。

スタッフは私と看護師長の妻、新たに募集した受付専門の窓口のお姉さん、事務員のおっさん。そして従来の旧斉藤医院勢です。頼りにしていた旧斉藤医院勢でしたが、開院する前に妻を交えその全員と個人面談を行いました。今後ともぜひ引き続き勤務してほしい、給与条件は維持します、等々。医療資格を持つ方は准看護師が2人で、その他の方は看護助手でした。全員がご年配、ないしはそれに近い方でしたが結局残っていただけたのは6人いたスタッフのうち准看護師の資格を持つKさんとMさんのみでした。お二人とも仕事に抜かりなく、特にとても仕事が早く、かといって大変穏やかなKさんは実は斉藤医院時代の看護師長役の方でした。どおりで手際が鮮やかなわけだ。妻とKさんはすぐに打ち解け、妻をまるで娘のようにかわいがってくれました。機材の扱いやその他こまごましたことまで院内の業務は完璧に精通しているKさんの存在は開業したての我々には百人力です。深夜でも緊急手術には必ず駆けつけてくれるし、時々は美味しい夕食のおかずを持ってきてもらったりと。その後何年もお世話になり、現在はさすがに引退されましたが今でも頭の下がる思いです。Mさんはいつも私の娘をかわいがってくれました。誰にでも一度も怒ったことのない方でした。本当にありがとうございました。若い医療スタッフや厨房、清掃スタッフも徐々に充実し始め、新しい病院に新しい血液がやっと通い始めました。仕事はまず人から、を実感しました。

新しい机を診察室に設置し、遅れたレセコンが動き始め、ようやく「くらもちレディースクリニック」は本格稼働を始めました。その月の出産数は12例、翌月は少なくて3例、3月にはもう15例になっていました。何とか軌道に乗り始めると、病院各所のいろいろなあらが目につきだしました。前に述べたように全館まともなカーテンやレースがない。カーペットもない。まるで拘置所のようです。粗大ごみの類は院内の使われていないスペースに突っ込まれたまんま。粗大ごみが随所にあるということは細かいゴミ、埃はその千年も前から住んでいたとの証拠。目的不明の開かずの間もどきもあります。以前斉藤先生が自嘲気味にお話していましたが、なんでも斉藤先生が病院をお建てになったあと数年でその建築業者が倒産してしまったとのこと。まともなメンテナンスもできず、斉藤先生の天下御免の性格もあってこのような次第となったらしい。待合室や病棟の授乳室に煙草盆が置いてあるのには絶対的価値観の違いに唖然としました。隣のホームセンターでまたしてもカーテン、カーペット類を購入し、暇な土曜日の午後にせっせと設置します。問答無用で粗大ごみを出し、煙草盆を片付け、清潔な区画を少しづつ拡大させてゆきました。

病院が少しづつ安定飛行に移り始めたその年の春の午後、奥のご自宅に住んでらっしゃる斉藤先生からお呼びがかかりました。何事だろうと思いさっそく伺うと今住んでいるご自宅を適正価格で譲ってくれるとのお話。今は築7年でまだ新しく、7000万円の銀行ローンを組んで購入し、3000万円の残債があるとのことでした。ご自分たちは息子夫婦と近くに二世代住宅を建てることになったため、もうここにとどまっている理由がなくなったということでした。この旧斉藤邸も不完全ながら二世帯住宅の構造となっており、玄関、キッチン、バストイレは一つだが、2階部分の部屋も広く、駐車スペースも2台分確保できている。でも息子夫婦の賛同を得られないらしい。銀行にはもう話を通してあると。「どうじゃろ」わかりましたとお返事をし、残債を肩代わりする代わり、旧斉藤邸を自由に使えることとなりました。斉藤先生はその後まもなく引越しをされ、しばらくして念願の新築完全二世代住宅へ移り住んでゆきました。旧斉藤邸は大変広くて立派な住居です。しかも理想的和風庭園。池のほとりに見事な枝ぶりの枝垂桜(しだれざくら)が生えており、その向こうは小高い丘を越えて青空が広がっています。小さいながらも完璧な桃源郷です。代償は月々100万円、約3年間のローン。うーん。

悩んでも仕方がないので早速大邸宅のお屋敷へ引っ越しました。といってもたった数メーターの移動です。大きな荷物もなくなんとなく部屋を移動したというイメージです。斉藤先生ご自慢の清潔で完璧な応接間は我々家族にとって真っ先に標的となりました。採光もいい明るい部屋から眺める日本庭園は最高です。(↑)上の写真は悲しいかな家族のエントロピー増大の法則に抗しきれず無残な姿をさらす旧応接間。ちなみに自宅にはこれまた悲しいことに常時主婦不在です。

病院には様々な方が訪ねてきます。元々交友範囲が狭い私にも大昔から親友だったような方が急に増えました。中でも少し怪しい一人が自称ディベロッパーのNさんです。この地で開業をする前にミルク会社のT青年の上司を通じ紹介されました。ネズミと狸のあいのこのような、人懐っこい表情のおっさんです。ネズミの言葉ではなくきちんと日本語を話します。もう何件も自己資金のないお医者さんを開業させて大成功に導いていることを言葉巧みにお話しします。何とか市のなんとか病院はすべて自分がセッティングした、こっちの有名な何とか産婦人科は月平均お産100件ですよ、などなど。いやいや、自己資金なんていらないんです。私が銀行に掛け合っておぜん立てします。地主と交渉して土地を担保に地主がお金を借りるんですよ。等々。理論整然とお話しする内容は魅力的で、自分もすぐにでも大病院のオーナーに慣れそうな気がしてきます。その彼がその年の梅雨時のある日病院にやってきました。「いやー先生。お元気ですか。何かお困りなことはありませんか。ああ、そうですね、外観がぱっとしませんね。それではさっそく知り合いの設計士に改装工事のプランをたせさせましょう。」あっという間に改装プランも決まり、内装、外装合わせてきれいにすることになりました。合計約2000万円。またしても銀行ローン。昔「黒いセールスマン」という奇妙な漫画を読んだことがあります。ブラックユーモアを地で行く一見優しそうなセールスマンが気の弱い正直な主人公を徹底的に言い含め、人生を破滅に追い込む黒い趣味の物語です。最後にこのセールスマンは指をさして主人公を追い詰めます。きめの言葉は「どーん!」です。わたしのばあいは確かに「ろーん」と聞こえました。

(↑左中央右)左は道路反対側より見た外観。外壁は色を塗り替え、ピンクのアクセントラインを一周させました。デザインの考案は自分。リボンで結んだイメージです。京王線みたいでかっこいいデザインだと思っていたら小学生の娘に死ぬほどかっこ悪いといわれ、とてもがっかり。中央写真は待合室。内装は落ち着いたデザインでみんな満足です。右写真は2階新生児室とナースステーション。このイメージがこれから2年ほど続きます。

内外装を一部きれいにし、院内の清掃、整理、整頓に多少のめどが立ったある秋の日、ついにその勢力は建物をでて、外の敷地に及び始めました。駐車場が少ない!私が初めてここに来た時から大いに気になっていました。合計4台分の駐車スペースがあり、そのうち一台は救急車用となっています。実質3台分にすぎません。3人の患者さんが車でいらっしゃったらそのあとの患者さんはみんな歩いてこないといけません。運が良ければ止められますよ、というスタンスです。これはいけません。自動車という文明の利器を拒絶して患者さんの幸せにつながるのでしょうか。まずは現状分析です。

(↑)上は先ほども見た航空写真。ちなみにグーグルマップではありません。画面左下黄色い環の部分に三台の車が止まっています。その少し上に救急車スペースが見えます。

     

(↑左右)上の写真左はその3台分の様子。時期が違うので車も違います。まずは「救急車専用」と書いてある赤いコーンを取り払いました。さらに上の写真で青い網状のスペースにも車を止められるよう干渉する垣根を切り払いました。上の写真右は切られる前の垣根をほぼ真横から見た様子。下の写真はそのスペースを上の写真左の反対側から見た様子。生垣が約7 mにわたり無残に切り払われた様子がわかります。実行犯は誰だろう。ちなみに隣地は住宅公団の緑地です。これでプラス2台。1.6倍のスペースになりました。

少し患者さんの数が増えたような気がしてきました。一台駐車場を増やすと月に一人お産の患者さんが増える、そう信じました。でもまだ駐車場は足りません。次はどこだ。

(↑左右)上の左、先ほどの航空写真を見てみます。鋭い方はもうお分かりだと思いますが、中庭に入り込んだ病院建物のすぐ前、つまり上の写真で薄い楕円形の部分です。そこへ駐車させるにあたってまず障害となるものは楕円形の2時方向と8時方向の部分です。まずは2時方向の部分から。上の右写真右の方、病院建物が90度折れ曲がった部分の角に小さな物置と物干しスペースが見えます。ある夏の日の土曜日、急に思いついて隣のホームセンターへ駆け込むと工事現場によく置いてある巨大なハンマー、電動ディスクグラインダー、そして軍手を購入し急いで戻ってきました。物置の中に入っているがらくた類を外へ引きずり出すと、さっそく無表情にハンマーを思い切り物置の薄い壁にぶち当てました。一撃で大きくゆがんだその薄い壁を見ると、さらに容赦なく何回もハンマーでぶちのめしてゆきました。しばらくすると物置はひしゃげて無残にもバラバラ状態になりました。薄い板きれの束になった元物置を片付け、次の獲物はその隣の華奢な物干しスペースです。華奢だと思った柱は意外にも太く、ハンマーでたたいても壊れそうにありません。さっそく電動ディスクグラインダーを取り出し、太い鉄柱に押し当てました。ものすごい火花と轟音に少したじろぎましたが、負けてはいられません。目を細めつつあっという間にすべての柱を切り倒し、バラバラにしてしまいました。

翌日の日曜日、さらに暑い日差しの中、今度は次なる障害物、8時方向の部分です。

(↑)またしても同じ航空写真です。8時方向の部分はお庭のみごとな築山の一部です。芸術的な松の木や巨石を始め、趣向を凝らした造形の美が一部の隙もなく配列されています。その、たった2 mのスペースが邪魔なんだ。少しどいてください。青い矢印の上部分をさっさと平らにしようと思い立ちました。

上の写真、一番手前の子供が左足で踏んでいる特徴的な三角形の踏み石が上の航空写真に写っている②です。それより先、⑩の石のすぐ先でこの聖なる小山を切断します。ちなみにどの子も正しい切断線を示していません。最初に山へ登ります。標高1 mくらいはあります。この日のためにまたまた隣のホームセンターでさっそくチェーンソーを購入しました。まずは抜ける植物を片っ端から引き抜きました。ある程度幹の太そうな低木は自慢のチェーンソーで切断し、根っこをスコップで掘り出します。ここまでは順調です。次にこの山の王者、ひと際枝ぶりの良い松の木です。もちろんゆすっても押してもびくともしません。幹の直径は優に20 cmを超えています。多少の罪悪感を感じつつチェーンソーで根元近くから思い切って切断しました。あっけなく倒れてしまいました。枝も多く、残りの幹も含めチェーンソーで細切れにして伐採作業は終了です。次に根っこの掘り出しです。根の張り具合もよく、掘ってはチェーンソーで根を切断する工程を繰り返し、やっとのことでその周辺の山を少しづつ切り崩すことに成功しました。ここまでで朝から夕方までかかりました。モー大変。無論ところどころ妻にも手伝ってもらいました。最悪な事態が生じたのはその夜、のんびり風呂につかり、さあ寝ようかという時です。体中がかゆくてたまりません。あちこち赤くはれ上がっています。松の木のたたりか、と思いましたが松毛虫に思い切りやられていることにようやく気付きました。軟膏を塗りたくり早々寝ました。

(↑)上の写真右下に松の木の残骸が一部集められています。近寄らないようにしよう。
数日して体力が回復した後、残りの作業を続けます。山を切り崩し、山のふもとを守っている巨石をどけなければなりません。再び朝からスコップを持って妻と作業に入ります。頑張って何とか土を掘り、山を削り、邪魔にならない隅に土をかたづけます。どんどん掘り進みついに大量の山の土は消滅しました。最後の難関は巨石群です。作業を始めてからわかったことですが、この石、実は埋まっている部分がとても多く、見かけよりかなり大きいのです。ざっと半分ないし2 / 3が埋まっている様子です。それがおおよそ10個ほど。何とか掘り出しては妻と二人で力を合わせ、新しい切断面のふもとに転がしてゆきます。それも最初の数個で力尽きてしまいました。なんと重いんだ!しかし、巨石が居座っている以上、駐車場にはできません。最後の力を振り絞り、何とかコントかさらに数個の巨石を掘り出し、持ち上げ、移動させました。あと残りは2個。夕日が黄色く疲労に滲みます。10時間連続の手術でもここまでの体力消耗はありません。ちょっとした名案を思い付きました。石のすぐ隣にもう少し深い穴を掘り、そこに転がして埋めてしまおう。苦肉の策とはこのことです。震える手にスコップを握り、やっとのこと最後の石を埋めた時には巨石より重い疲労感に沈んでいました。(↓左)震える手で取ったこの日最後の写真が左下です。右は後日別の角度から撮った切断部。苦労する、跡はタイヤが知りにけり。

(↑)やっとのことで拡張なった建物わきの駐車場。横並びに3台、方向を変えさらに1台の、計4台分の増加です。月のお産が4人増えます。実際にお産の方はさらに増えだし、駐車場1台 / お産1人以上の効果となりました。改装工事の効果じゃないの、とのご意見もありますが、駐車場が大切なことに変わりありません。

お産の数はじりじりと増え、いよいよ忙しくなってゆきました。ある日普段は見ない貯金通帳を眺めていて不思議なことに気が付きました。貯金残高が増えていません。減ってもいないのが不思議ですが、勢いがありません。思い起こしてみるとそれらしき心当たりがありそうです。数日後、意を決してお近くに住む斉藤先生のもとへ一人で出かけました。「先生、やっぱり自宅のローンは負担が多すぎて払いきれません。」あらかじめこのような結果を予想していたのか、斉藤先生はあまり驚かれた様子はありませんでした。あーわかったわかった、そうじゃろ、とのお返事ですぐに納得していただきました。不思議と全くお叱りはありませんでした。後日お会いした際自宅はもういいよ。一括して返済することにしたから。壊して更地にするから心配いらんよ。ぼそりとおっしゃっていました。少しさみしそうでしたが、理不尽な迷惑を人にかけまいとする斉藤先生の思いがひしひしと伝わってきました。数か月してかつてのご自宅はきれいな更地になっていました。

傍若無人な私の行動をはたで眺めつつも斉藤先生は定時、緊急手術にかかわらずこまめに駆けつけてくれました。日曜祭日よる夜中、区別はありません。定時の手術をされ、お疲れなのにその日の深夜に緊急手術でお呼びしたことも幾度もあります。「またかよ!こんな夜中に呼び出しやがって。」私だったらきっと嫌味の一つでも言いたくなるところですが、斉藤先生の去り際の決まり文句はニコニコ顔で「また呼んでね。」の一言です。涼しげな空気とともに悠然と去ってゆくお姿を見ると、私も含めへとへとなスタッフ一同本当に心が洗われます。体力の続く限りは大丈夫、とおっしゃってましたがさすがについ最近手術業務から引退されました。感謝の言葉は筆舌に尽くしがたい限りです。

自宅ローン問題と駐車場問題が落ち着いた次の年の春の午後、これ以上まじめな人はいないという銀行屋さんが訪ねてきました。以前旧斉藤邸の自宅ローンの肩代わり手続きをしてもらった旧斉藤医院お気に入りの銀行員です。「先生、確定申告の結果を評価するとご融資できますよ。いろいろな手順は必要ですけど。」そういえば以前お会いした時、融資が可能かどうかとか言っていたようです。確か、納税額が一定以上だとそれに応じ大きな融資をしますよ。ですから1年間は様子をみましょうと。気の長いお話なので気のない返事をしていたら、本当に1年してやってきてしまいました。「まず、ご自分の病院を建てるにはご自分の土地として購入しなければなりません。土地と建物に担保がかかります。でも今は住都公団の土地ですし、それを解決する必要がありますね。」お話はあっさりとおしまいで、さっさと帰ってゆきました。土地!斉藤先生はかなり以前住都公団に土地を売ってほしいと話を持ちかけましたが、断られてしまったとのことです。そこで複雑な又貸し状態となり、きれいで立派なご自宅に今は住んでいないという結果につながっているのです。でも、売らないものはしょうがない。お役所仕事の決まりごとは変わりません。後日ダメもとで住都公団賃貸の担当者にお話ししてみると、なんと相場で売りますよ、とのこと。二つ返事なので驚きました。

 

URホームページより転載

さっそく堅物銀行員に連絡をすると、そこから急にエンジンがかかったように銀行員の素早い行動が始まりました。住都公団ともこの銀行員が連絡を取り、難しい書類を山のように作り、山のようにハンコを押しているうち、あとはどこの建築業者で建てるかを決めるのみとなっていました。「どこの建築業者の方に建ててもらえばいいんですかね。」さっそくその真面目銀行員ご推薦の建築業者がやってきました。若いお兄ちゃん風の人で、あれこれ病院を見てゆきました。こんな風にしたいんですよ、と新病院の手書きの設計図をお渡しし、待つこと約数週間。薄い設計図を持ってまた頼りないお兄さんはやってきました。鉄筋コンクリート造りのがっしりしたその一部三階建て構造物は間取りが希望したものと全く違っていました。そこは今後修正の必要があるかとも思いつつ、お値段なんと、ちきちきちき・・・お宝探偵団のドキドキ場面ですが、3階建てで7億円とのことです。うーん、建物だけで予算オーバーだな。内心思いつつ、今後の展開に期待することにしました。不思議なのはもともと物ぐさそうな若者はそれ以降段々と来なくなり、ついに数か月以降、まったく姿を見せなくなってしまいました。交渉の余地なしとのことでしょうか。設計案の変更は社外の建築士に委託しているので相談だけでも結構な金額がかかってしまいます。生返事を繰り返すうち、完全に見限られてしまいました。結局建築士の方と一度も直接お話しせずに終わりです。

ある日曜日の午後、家族で近くのガーデニング屋さんに車で出かけました。駐車場の拡張で殺風景になった外構を少しでもきれいにしようと思い、お気に入りのガーデニング屋さんにやってきました。春の陽気に誘われて植物も元気そうです。一通り気に入った植物を購入し、帰ろうとしましたが、ガーデニング屋さんも駐車場も広い住宅展示場の中にあります。何気なくついでにおうちも見ていこうかということになり、住宅メーカーの住宅を見て回ることにしました。病院建築にはつながらないだろうけど、何か参考になるものがあればいいかな、くらいの気持ちです。そもそも新築の家を見るのは気持ちがいいことです。まずは一番手短な「ダイワハウス」です。玄関から込み合っていてなかなか取り次いでもらえません。しばらく待っても案内が来ないので次に「セキスイハウス」へ行ってみました。元気のいい担当者がすぐにやってきました。「3階建ての病院はできますか。」との妻の問いに間髪問わず「はい、できます。」それではと中に入りいろいろ見て回り、簡単にお話を伺いました。対応の早い会社だなあ、が第一印象。それでその日はおしまい。カタログをいっぱい抱えて帰りました。

セキスイハウスホームページより転載

驚いたのは次の日です。午後、診療が終わるかいなやに昨日の若い担当者S君がさっそくやってきました。開口一番「先生!大丈夫なようですよ。」さっそく近隣のホームセンターと交渉をし、工事期間中の駐車場賃貸について了解をとってきたとのことです。無料でよいそうです。よかったなーと思いましたが、そもそも病院を新築するとも、セキスイハウスで建てるとも何とも言ってないじゃないの。昨日は簡単に坪数や新病院の希望を話しただけなんだぜ。段取りが良すぎるのか、やる気あふれるのかはそのあとの展開を見ればすぐにわかりました。以前やる気のない建設会社にお渡ししてなしのつぶてだった手書きの設計図をこの日もう一度この張り切り担当者S君にお渡ししたところ、さっそく1週間もしないうちに社内の設計士を連れ再度やってきました。今度はプロがきちんと考えた詳細な設計図です。私が望んだ配置は極力そのままで、しかももちろん建築学的に無理のない内容が織り込まれています。この段階に来るまでどれだけ待ち望んだことか。「お取引のある銀行はどちらになりますか。」S君の段取りはさらに磨きがかかります。もう次の週には生真面目銀行員と共にやってきて融資の計画案が大方出来上がっていることが分かりました。素早い!それからは数日に一度やる気のS君からこまごま連絡がありました。中にはご機嫌伺いもあります。以降は専属のセキスイハウス設計士さんも交え週に2回、診療が終わってから設計の詳細な打ち合わせに入りました。長いときは数時間にもわたりきっちりつめてゆきます。数か月もたってようやく完全な設計案が決まり、早々に工事が始まり、念願の新病院は平成17年10月17日、ついに完成しました。

新築なって

新病院の完成は目的ではなく出発点の一つにすぎません。自動車レースでいえば新しいレーシングカーが届いた段階でしょう。勝負はこれからです。しかし嬉しいことに違いありません。これを機に法人組織化を図りました。この後も様々な展開を見せてゆきますがそれはまた後々お話ししましょう。愛着のある旧斉藤医院でしたが今度は新病院となり、力あふれるヤシの木々が我々をいつも応援してくれます。金魚は優雅に泳ぎ、広い駐車場がすべての患者さんを受け入れます。これが私流の庭園であり、真剣勝負の場でもあります。透明な夜気も冷えてきたので今夜はこれでお別れです。明日もよい日でありますように。

平成26年10月、月の表情がにぎやかな夜に

※文中の数字や金額に関しては記憶力の悪い院長の憶測、希望等も多分に交じっております。それらについて一切の確証がないことをここに明言いたします。